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ニュージーランド自転車の旅  1997年6月〜1998年3月

 視野いっぱいの空、耳をふさぐ風の音、牧草地を転がってくるこうばしい匂い、背中を押す太陽の光、手に汗にぎり方向付けを託したグリップ。 粗い目のアスフォルトの上に、4つのバックを取り付けた自転車にまたがりスタートラインに立っている。 欲しがっていた身体の五感、忘れかけていた感覚が蘇ってくる。 また自転車の旅ができる。三浦半島の旅から夢の続きが始まるのだ。
 MTBを買ってだんだん自転車をこぐのが楽しくなった頃。自転車に乗って旅したら...と女友人二人で出掛けた三浦半島一周の旅。 行き当たりばったりの運まかせ、寄り道ばかりで旅を引き伸ばし、たかが三浦半島で3泊もしていた。 想像していなかった楽しさが、旅が終わっても続いていた。覚めやまない興奮が、何か見えない方へ向かっている手ごたえを感じていた。
 それは、ニュージーランドへ自分試しの旅へと向かった。
 半年間のビザを持って旅立ち、何ができるのか何がしたいのか自門自答しながら見つけたのはやっぱり自転車の旅だった。 次第に緊張が高まり、先が見えない不安と何が起こるかわからない恐怖で出発まで眠れない日もあった。 これから何でもひとりで乗り越えていかなければならないという孤独感で旅を想像する余裕がなくなっていた。 けれど自転車をこぐってこうだったんだ。

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 自転車の旅1日目(9月下旬スタート)

 目の前は、見える限り牧草地。映画のスクリーンに入っていくかのようにペダルを踏み、その瞬間から目の前が広がった。 北島のオークランドから北上100キロほどの国道12号分岐からスタートした。天気もまずまず、下りからと何ともいい始まりだった。
 久々に旅の自転車に乗った興奮でしばらく気が飛んでいると、いつのまにか黒い雨雲が背後から近づいていた。 すぐに雨は降り出した。 自転車を止めカッパをだそうとするが、まだパッキングもままならず、なかなかバックからでてこない。 ズブ濡れになってカッパを着ようとしていると、道端の農場のおじいさんが声を掛けてくれた。 脇を通ったトラックも止まり、すぐそこが町と教えてくれた。 親切な人が近くにいると少し安心する。 雨に濡れた荷物は自転車も気持ちも重くする。 精神的な弱さ、身体の疲労も大きい。 さらに自転車のキャリアに付いているバックのパーツが外れてしまった。 自転車を止めてパーツを探していると、トラックがぶっ飛ばして私の横を走り過ぎた。 全身に水しぶきがかかり、ぼんやりと思った。 「オークランドに戻ったら、自転車もバックも売ってバスで周ろう…」

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 オプノニ(10月初旬)

 出発してから数日間漕いで、やっと初めて海を見ることができた。 その静かな海の近くの宿で少し休もうと思った。前日まで雨が続き森の中のキャビンで足止めされ、手持ちの食が底を尽き洗濯物もたまっていた。
 宿ヘ着くと、オーナーのゲィノーが向かえてくれた。 友達のお母さんを思い出させてくれるような人だ。 久々のシャワーを浴び、洗濯機を回したまま近所に食料の買い出しへ出掛る。 村の小さな食料店ではあるものは限られているが、今の私にはすべてがご馳走に見える。 食べられる分だけ買い物をして宿へ戻ると、洗濯物が干されてあった。 きっとゲィノーが干してくれたんだ。 ゲィノーにお礼を言ってリビングへ行く。 そこに数冊あるビジターブックを読んでいると、明日は彼女の誕生日だということがわかった。
 翌日私は、食料店の前にある桟橋と海の絵をスケッチブックに描いた。
「ハッピーバースディトゥーゲィノー、プレゼントフォーユー!」
とゲィノーに渡すと、ギューと抱きしめてチューしてくれた。

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 ケープレインガ(10月上旬)

 とうとう最北端ケープレインガへ向かってこいでいる。
この道は、最北の宿からはダート道で21キロある。 険しい道だと途中で会ったサイクリストに聞いていた。 10月上旬にはオークランドへ戻る予定だったのが、雨で進めない日もあったり、心地よい宿があったら延泊したり、 地元の人に泊まらせてもらったりと自転車ならではの出来事が旅を長くさせていた。
 太陽の照りが一段と強くなる。 南半球は北が暑いのだ。渇いた土埃が舞う。 家も店も、電線すら無くなってきた。 何度も上り坂を登りこのカーブが過ぎれば海だと思ってもなかなか辿り着かない。 さらに遠くの道が見えたりすると吠える。 しばらくすると薄い霧に入っているようだった。 それは、海からの水蒸気で雲ができていくところだった。 ふと目の前には、観光バスがズラーッと並んでいた。 バスから降りてきたひとりの女性が、
「あなたは自転車でここまできたの?」
「そうです。」
「わぉー、勇敢ね!」
ケープレインガに着いたのだ。 絶壁のから見渡すかぎりの海だ。今までのつらかった走りを全部吹き飛ばしてくれるようだった。

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 再びオークランド(10月下旬)

 オークランドに近づき、現実的な問題が見えてきてしまった。 2週間で戻ってくる予定が1ヶ月も掛かけて存分に遊び、もっと走りたい、南島へも行きたいと思っている。 しかし、ビザは残り1ヶ月くらいしか期限はない。 すべてはオークランドに着いてから考えよう。
 オークランドに着き、街中にいると走り出したい気持ちでいっぱいになる。 もう、都会の雑踏がイヤになって、 次の町へ行きたい衝動が起きている。 ニュージーランドの友人に話すと、そのような状態を英語では「旅行カバンを持っている」と言うそうだ。 私は、何かに突き動かされているように先を急いだ。 また自門自答を繰り返すが、答えを出すのに時間はかからなかった。
 ビザの延長手続きをするために移民局へ行った。 コンピュータシステムを変えている最中で申請手続きをするまで4週間かかると言う。 そんなには待ってられないので書類にスタンプだけ押してもらい、あとは北島の最南端にある首都ウェリントンで提出しようと書類を持ち帰る。 すぐに再出発の準備を始めていた。

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 ラグラン(11月初旬)

 急ぎ過ぎていたようだった。 ただこぐことだけに向かってしまったのか、気持ちは疲れていた。もう2度と会えなくなるかもしれない友人たちとゆっくり過ごすことなく、 ビザの書類を持ってオークランドから逃げるように走ってきてしまった。
 ラグランへ着く前日に、ピザ屋の奥さんの日本人ケイコさんと会い、お宅に泊まらせてもらった。 サーファーの彼女が「サーフィンのメッカでいいスポットよ」とラグランを勧めてくれ、私は南下するのを西へ向かった。 しかし疲労が溜まっていたようで道路脇に時々立ってある十字架が、今日はなんだか私のほうへ向かってくるように見え怖かった。 さらに抜かされていく車から罵声を浴びせられ、ペダルが踏めなくなってしまった。
 ラグランの宿へ着くと、すぐにベットへもぐり込んだ。
 翌日、やっと起きあがり宿のオーナー、ジェイミーに話しを聞いてもらう。すると、
「自転車なんかどうでもいいじゃないか、やめてしまえ。リラックスが必要だよ。」
「リラックスってどうするの...?」
 それから数日間は、自転車から離れた。 裸足で海辺を歩き、常連客のベティばあちゃんに木の名前や鳥の声を教えてもらい、サーフィンスポットへ行って見たり、カップケーキを作ったりして過ごした。 週末にオークランドから友達が駆けつけてくれた。 初めて会ったときのように話しが止まらなく、それは自分の足りなかった部分が埋められていくようだった。 そうした後の別れはつらかった。
彼女を見送り、体力を付けようと肉を買いに肉屋へ行くと店主が、
「やあ、元気かい?」
「よくないよ。今、友達がオークランドへ帰ったところなんだ。」
「大丈夫さ、また、すぐに会えるさ。」
そうだ、また会える。 その一言でどんよりとしていた気分が、軽くなった。 食う・漕ぐ・寝るシンプルな生活は、理想的だけども、自転車も心でこぐものとわかった。 ラグランで過ごした大切なことを忘れてはならない。

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 ウェリントン(11月下旬)

 ここまで来る途中に雨が降って足止めされると、ビザの期限内に着くことができるかと何度も不安になったが、なんとか間にあった。 背広を着た人達を久々に見た。 ここは、東京でいうと丸の内のようなところだろう、 さっそく移民局へ行く。
バッグの底に温めていたオークランドでスタンプをもらったビザ申請書を出し、面接官と話す。
「サイクリングを始めたら、楽しくて楽しくてもっと走りたいし、南島へも行きたいんだ。」
オークランドから自転車で来たの?信じられない、と言ったようすで
「残金を証明するものを出して。」
私は、クレジットカードと手書きで残した銀行口座残金のメモを見せる。 今はこれしか証明するものは持っていない。
「本当にあと3ヶ月だけよ。」
まったくもう、とあきれた表情で彼女は私のパスポートに新しいビザのシールを張りつけてくれた。

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 ハブロック(12月上旬)

 まるで海外でも行くような気持ちになって南島へ向かうフェリーに乗る。 ビザはもらったが、あと3ヶ月もこぐなんてと気が遠くなった。 これから急がずめいいっぱい楽しもうと気を入れ直し、南島のピクトンに着く。 西へ向かってペダルを踏む。日差しが強くなり、夏も本番になってきた。
 ハブロックの宿に到着すると、そこではイギリス人夫婦が何やらパソコンで盛り上がっていた。 その夫婦の大きな部屋は基地のようになって、子供達がグループに分かれてマルボロサウンドをトレッキングしているようすで連絡を取り合っていた。 他の客には、スイス、ドイツの女性でそれぞれキャンプ道具一式背負って、トレッキングのマイナールートを歩いている。 それと料理人のイタリア人。
リビングに集まると国際色豊かになり代わりばんこにクリスマスソングを母国語で歌おうと誰かが言いだし、私は真っ赤なトナカイを歌った。
 「近くのカフェでクリスマスパーティーがあるから一緒に行かない?」
夕方、イギリス夫婦に誘われて近所のカフェへ行った。 そこは、小さな町でみんな知った顔なじみが集まっていた。 近所の女の子が舌にピアスあけたとか、どこのじいさんが銀行の窓口で名前を呼ばれて歩こうとしたらつまずいて入れ歯が飛んだとかローカルな会話で盛り上がった。
「これから何がしたいんだ?」
と地元のケビンに言われ、
「山を歩きたいんだ。」
と私。
「じゃあ明日、家へ来なさい。迎えに行くから。」
奥さんのトニーと簡単なあいさつだけで、翌日からお世話になることになった。

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 毎週末、山歩きをしているケビンと付き添っている犬のラウと一緒に近くの山へ行った。 はじめはなだらかだった道が、急な登り坂が続くブシュウォークになってきた。 だんだん前を歩くケビンと私の間に距離ができてた。 するとラウが二人の中間点で待っている。 私が追いつきラウと目が合うとまた先へ歩いて行く。 それは偶然ではなく頂上まで何度も繰り返した。 帰りはシダに覆われ、道に迷った。 ケビンが、私とラウを待たせて道を探しに道なき道を行き、見えないところまで行ってしまった。 道を見つけたケビンがラウを呼び、ケビンの場所を確認し、ラウが私のところへ戻りその場所まで連れて行ってくれた。 本当の犬の働きを見た。
 翌日は、村のソフトボール大会に参加した。 グランド代わりの牧草地に行くとある女の子に人が群がっていた。 それはクリスマスパーティのとき、うわさになっていた舌にピアスをあけていた女の子だった。 老若男女、ギブスをしているお姉さんもいれば、妊婦もいる。 いろんなルールができ、のんびりとしたゲームで、もちろん勝敗なんて関係なかった。
 さらに翌日の月曜日は、ケビンとトニーの娘、ジャッキーの小学校の遠足があり、一緒に海へ連れて行ってくれた。
 その夜、私はケビンとトニーに旅の話しをすると、二人はニュージーランドを自転車で旅をしていた。 ケビンは、オーストラリアも走ってた。なるほど自然なやさしさがわかった。

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 マウントクック(1月下旬)

 まる2日間、雨が上がるのを宿で待った。 ニュージーランドで最も高く美しい山マウントクックを眺められるセアリーターンズコースを歩きたいからだ。
 岩山の急坂を登って行く。ターンズというだけに目的地の突端は、山の中腹辺りの折り返しだった。 そこまで着くと軽装できている人は下っていくが、私は物足りなさを感じていた。 朝から歩いて時間の余裕はあったけど、日本のガイドブックには山の頂上まで行くには本格的な装備が必要とあった。 登りたいけれど自信がなく、迷っているところへ
「シャッターを押してくれないか?」
と声を掛けられた。 シャッターを押したついでに、そのフランス人ローンに今、迷っていることを話すと、
「君ならできるよ。」
今まで何度もこの言葉で励まされてことか。 見えない先を不安になり情報欲しさに人に尋ねると、よくその答えが返ってきた。 そうだ、私ならできる。 自分が自分で信じてあげるんだと思い直して、頂上へ向けて歩き始めた。 そこから先は、斜面がさらにきつくなり、石が大きくなって場所により岩登りになった。 1時間30分ほどで頂上のミューラーハットに着いた。 セアリーターンズでは見えなかった遠くの山まで見ることができた。 向かいの山には氷河あり、時折崩れ迫力のある音が響いた。高山植物クックリリーも咲いていた。

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 ミルフォードサウンド(2月下旬)

 ニュージーランドに手掘りトンネルがあるという。 そこには照明がひとつもなく真っ暗で、1キロ以上で坂になっているらしい... 旅で会ったサイクリストの間では、そのトンネルへ行くか行かないか、通ったか、どうなっていたか、 いつも話しがでてくる場所だった。 私はそこだけはひとりで行くことができないと思っていたが、チャンスができた。 単独で走っていたサイクリストが3人集まったからだ。
 ミルフォードサウンドへ向かう途中にあるホーマートンネル。 高くそびえた岩肌に、穴が空いているような入口だ。 3人で手持ちのヘッドライトをつけ、私が一番に入っていった。 中は何も見えず、ライトはまったく役に立たない。 出口の明かりすら見えない真っ暗の中を声を出し合ってペダルを踏んだ。
 今回の旅でスカイダイビングやバンジージャンプ、ラフティング、カヤックなど挑んでみたが何よりこのトンネル抜けが一番のアトラクションになった。
トンネルをくぐり抜け、そこで見たのはニュージーランドで一番の壮観だった。 しばらく動けず、その景色を呆然とつっ立って見ていた。

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 インバカーギル(3月上旬)

 町へ辿り着く少し前、後ろから女性サイクリストが追いついてきた。 ドイツ人のサイモンも一人で走っていた。
「女性ひとりのサイクリストは、めずらしいよね。」
とお互い言い合い、彼女は日本人サイクリストは初めて見たという。 意気合って、カフェへ行こうとなった。 少し話しただけでもずっと一緒に走ってきたように思えてくる。彼女が私に聞いた。
「なんで会社を辞めて、ニュージーランドへ来たの?」
「退屈だったの。あなたは?」
「私もよ。」
 東京から遥か遠い地球のどこかで、私と同じ考え方をしてニュージーランドへ来て自転車で旅する者が他にもいるもんだと思った。

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 ゴール地点に着いたら、きっと実感が込み上げてきて泣いて泣いて涙が止まらないのではないかと想像していた。 けれども走り終わっても達成感のようなものがなく、ニュージーランドにいたいとも、日本へ帰りたいとも思わない。 ただ、無事に終わって感謝の気持ちでいっぱいだった。 きっとこれは何かの通過点で、ほんのはじめの一歩に過ぎないのだろう。 できるかなって続けてみたら、ニュージーランドを4300キロ縦断した。

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