私にとって4回目の全日本選手権。
過去3回会場だった広島から場所が変わり、今年は岩手山の麓で行われた。
コースは、2年前の「ステージレース・いわて」で走った同じコース。
今年のエントリー数は去年より20名少ない。
この全日本の出場権が取れる春のチャレンジロードが中止になったため、
また、女子ジュニアとレースを別に設けたからもあるだろう。
そして、私が目標としていた先輩選手たちの名前もなかった。
東北の澄み切った空気、ひんやりと少し肌寒い中、
エリート男子から5分遅れでスタートが切られる。
緩い下りと平地が続き、集団はスピードによって長く伸びたり、
まとまったりとローテーションする。
3.5キロの登りに入っても集団はそのまま、
誰が仕掛けるかタイミングを見ているようでゆっくりとしたペースで進む。
2周目の登りの終わりで動きがあった。
しかし私はそれについていけなかった。
その後は単独走、何度も降りようと思った。
そんな時に「がんばってー!」
声援は、東北のがんばっている人たち。それに比べて、私はただ走るだけのこと。
自分からやめてはならないと、ペダルを回した。
盛合さんの声もわかったけど、そっちを見ないように真っすぐ前を見て走った。
タイムアウトで足切となったが、4周走れた。いや、走らせてもらった。
この1ヶ月、悲しい知らせが相次ぎ、涙腺が壊れていた。
レース出発3日前に叔父が亡くなった。今の自分のDNAをくれた人だった。
「レースへは行けない」という思いがよぎった。
普段は「自転車ばかり乗って(少しは女らしくしなさい)」と小言を言う母が、
「父さんとお別れの挨拶に行って、週末は(葬儀があっても)予定通りにレースへ行きなさい」と言った。
こんな時に、ではあるが、それはまた何かしら自転車の自分を認められた気がした。
翌日会いに行きスッキリするかと思ったけれど、悲しみが大きくなってしまった。
心の中がその事ばかりで、スタートができれば、御の字とウチをでた。
でも移動の車の中で悲しみに浸っていた日々から抜け出し、こっちの世界が生きるところだと、
ようやく切り換えができた。
チームメイトと一緒でなければ、全くもって動けなかったし走れなかった。
もう情けない走りはしたくない。
少し時間をとって、体調を良くして、気持ちを整理して、次に挑もう。
Photo:Masuken san.Thanks
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