2005年夏の終わり。「COG」のビジネスカードを握り締め、初めて行ったユーロバイク。それから数えて5回目になった。
毎回旅のテーマを探り、エアチケットを取ってホテルやバスを予約したりと段取りをする。今年はいろいろなことがやけにスムーズだった。5回目で慣れたせいか、何かとっても良いことがあるような気がしていた。
今年はユーロバイクの前にオスロへ向かった。
北欧へ行ってみたい、自転車の理想的な環境があるかもしれない、と行ったことのない街へ足を伸ばした。
出発前にオスロを調べると、1993年ロード世界戦が行われた街。
プロではランス・アームストロングが、アマチュアではヤン・ウルリッヒが勝ち、日本人の有名選手もたくさん参戦していた。
楽しみになってきた。
オスロに着いたのは、夜7時30分。
空港の建築は開放的なガラス窓と木材が多く使われているためか、自然で暖かく柔らかな印象で迎えてくれた。
「空港は国の扉」というだけに、一歩踏み入れたときからもう全く違う場所へ来た感じで人々はゆったりとしていた。
荷物受け取り場では中々荷物が見つからなく、やっと見つけて街へ向かう電車に飛び乗った。
外は陽が落ちてきたところだった。
安全な国とはいえ、いつもながら一人旅の身としては暗くなる前に宿に着いていたいとちょっとあせる。
ヨーロッパ時間だ。このシーズンは、陽の沈むのが9時ごろになる。夕飯を食べた後にもうひとつ、何かできるのだ。電車の窓から、ジョギングしている人を見た。
電車内にあった画面から目が離せなかった。とてもかっこいい映像が流れている。その横を通る車掌さんはそれまたかっこいい女性だった。なんて洗練されているんだろうと刺激的だった。
まもなく中央駅というところでコピーしてきたグーグルマップを確かめる。
<ここで降りるか?それとも次か?この電車は急行か?その次の駅は止まるのか?>
電車のインフォメーションと地図を交互に見ていると、
「次の駅がベストだよ。」
と通り向かいの人が私を見かねて教えてくれた。ホテルの最寄り駅は次のようだ。
次の駅で降りホームでキョロキョロしていると、
「君は、あっち。」
と再び同じ人が教えてくれた。また出口でキョロキョロしていると、
「途中まで同じだから、一緒に行こう。」
教えてくれたカップルと一緒に歩いた。暗くなりかけていたので良かった、助かった。
「初めて来たんだ。」
やっと英語を話すスイッチが入った私。彼らはそうでしょうと思うところを、
「ようこそ。ぼくたちの街、オスロへ!」
歩きながら少し話すと、厚かましくなく自然な感じで応えてくれ国民性を感じた。
スタイリッシュな彼女から、
「そのまま、まっすぐで右側ね。1階はレストランだからね〜。」
なんとかベッドに辿り着いた。飛行機に酔って具合が悪い。そのまま眠りについた。
翌朝、町を歩こうと外へ出るとちょうど通勤時間帯だったようだ。
自転車通勤をしている人が多く、中心地へ向けて車の渋滞する中をスルスルっと走っている。
そのスタイルは様々だがマウンテンバイクにリュックが主流のようだ。
ビンディングにサイクリングパンツでヘルメットをかぶっているスポーツスタイル、スーツスタイルに実用自転車、カジュアルスタイルで子供と二人乗りやキッズトレーラーも多く見かけた。
天気は曇りで雨が降りそうだ。そういう時には目立つように蛍光色のウィンドブレーカーを着ている人も見かけた。
今回の旅で丸1日を過ごせるオスロの街、まずは自転車を借りてどこかへ行こう。公共レンタルバイクがあるのは知っていた。
まずはそのレンタルバイクから降りて一息ついた人を見つけて、どうやって自転車を借りるのかを聞き出した。
*詳しくはオスロのスマートバイクのページ
借りたカードを設置システムにかざすが、エラーがでてくる。
カードが壊れているようで使えない。再び観光局へ行こうとしたその時、マウンテンバイクに乗ったポリスに遭遇。しかも男女のペアだ。白いマウンテンバイクに黒のポリスウエア、ビンディングペダルでもちろんヘルメットをかぶっている。女性ポリスは携帯?をチェックしていた。 …<カッコいい!>… この姿を見て、この国を垣間見た気がした。
カードを取り替えてもらって再び設置システムにかざす。番号が表示されてそのバイクを抜き取り、サドルを合わせて走り出す。ペダルを踏むのは気持ちいい。小径車特有クイックなハンドリングだ。
遠くまで行こうかと思ったが1回の使用時間は3時間以内と決められている。その上、雨が降り出してしまった。街の中心をグルグルと回っただけで、雨足が強くなり返却した。
遠いところへ行くには、パンク修理キットやポンプが無いと不安だし、ヘルメットも無い。途中でどこかへ寄りたいときは鍵が必要になるが、それも持っていない。やはりチョイ乗り用の自転車なのだろう。
スマートバイクを使用しているのは旅行者だけでなく、むしろ地元の方が多い。生活の足として公共バイクが定着しているのがうかがえる。
夜、ホテルのTVでCNNニュースを見た。
国際ニュースのトップは日本の政党が変わったことだった。その映像は人々が「万歳!」と両手を上げている。ヨーロッパから見たら異様な光景だった。
自転車通勤は男性だけではなく女性も多かったことから、社会における女性の進出・活躍は多いにあるように思えた。
私が日常に見える中では、露出度が高いデザインが流行っている女性の服、女性をマーケットに狙った商品が並ぶ社会、売り手の過剰なサービス、幼稚なキャラクターを作りポスターをたくさん刷っただけの広報や広告。日頃私が、ちょっとヘンだな、と思ったことがオスロに来てみて、その感覚は間違っていない、と思った。
オスロでは街中でスカートをはいている女性をほとんど見なかった。観光案内のパンフレットにゲイクラブはあっても街中にキャバクラはない。本屋で成人向け雑誌が子供も女性も見えるように置いてない。TVを見れば女性キャスターがきちんとして、またCMや映像がかっこよく作られていた。
男女の差よりも人間として生きることを尊重する理想的な国だと感じられた。
オスロ滞在は1日半だけだったが自分の琴線に触れる旅になった。
オスロを離れ、通い慣れてきたフリードリッヒスファーヘンへと向かう。
ここからが本題のユーロバイク。
目的は、取引先2社とのミーティングと新しい商材を見つけるためだ。
その指定時間の合間をぬって会場全体をザッと見る。
あるホールで通りすがりにヤン・ウルリッヒ似の人がいて、
<似ているなー。いい男だなー。ま、ココはドイツだから似ている人はいるか。>
周りの人も騒いでいないのでそのまま振り返ることもなかった。
会場を半周くらい進んだが、ちょっと用を思い出して来た道を戻ってみると、先程の「GHOST」のブースでインタビューが行われていた。
「やっぱり、ヤン・ウルリッヒだった!」
カメラを構える。
彼がプロデュースしたバイクについて話しをしていた。その後にサイン会が行われた。ほんの20分くらいの出来事だった。
きっと彼が活躍していた頃を知らないだろうと思われる小さな子供がサインをねだっていたり、もう少し大きい少年がプロデュースバイクについて問うと彼は熱心に説明していた。あっという間にたくさんの人に囲まれ、快くサインや写真に応じる姿を近くで見て、ドイツ国民の英雄だと感じすっかりファンになった。
期間中、何回か行われるインタビューの時間を見計らって足を運ぶ。
彼が私を見て笑わせるほど何べんも通い、近くでシャッターを押していた。
ドライアンダーウェアブースにて
「やぁ、元気?自転車に乗っているかい!」
と担当者。私は、
「今日は乗ってきていないよ。持ってこなかった。」
「違うよ、日本で乗っているかだよー。」
と日本でも交わす業界あいさつと同じように、ドライの担当者とできるようになった。
「あれ、あの、郵便物。まだ見ていないんだ。ほら、8月だったから。」
「あー、イタリアンタイムね。」
と私が言い、お互い笑った。5年目で、こうして近くなった。
私たちは、時間をかけて理解し親しくなった。
ジィナーブースにて
サンプルのグローブをよく見る。好みのアイテムのパッドが大きくて分厚い。
<これは、ちょっと厚いと思う>
近くにいたスタッフに尋ねると、
「これはサンプルだから、ゴニョゴニョ〜。。。」
「こんなにパッドは必要ないと思うんだけど、、」
と私が言うと、
「ゴニョゴニョ〜」
「私は、ロードレーサーだから。ほぼ毎日、自転車に乗っているから。」
スパッと言うと、
「ちょっと待って、製品責任者を呼ぶから。」
<あれっ!効いちゃったの?ロードレーサーって?>
グローブの責任者が来て話をした。話すことでユーザーとなるサイクリストをどれだけ理解し、考え、研究しているのかがわかった。その上で私にも指摘や提案がある。
ウエアについても、ウエア製品責任者と話ができた。
それぞれ製造責任者が二人とも女性だったことが、私も対等に話ができたという事だけでなく、製品にも女性特有のソフトな面が生かされ、更にはメーカーの独自性につながっているのだと思った。
ユーロバイクの1日目が終わり、宿へ行く。
去年、泊まったリンダウの町の宿に予約した。
去年は、手配する時期が遅かったからか、ユーロバイクのホームページで手配できるホテルの予約がすべて満室で(4や5つ星以外)、観光局に問い合わせたり主要の街のホテルのホームページを探して1軒1軒コンタクトを取ったが、それでもなくて、やっとあった宿だっただけに有難かった。しかも、オーナーが自転車好き。
知っている町、知っているホテル、そのオーナーの顔。地図がいらない場所を持っているのは安心する。故郷へ行くような気持ちだ。
チェックインの後、荷物を置いて夕方の町を歩く。古い町並み、変わらない景色。ホッとできる時間。レストランがあったら夕飯にしたいが一人で入れる雰囲気なところがなかなかない。
<ホテルがあるか>と思い直し宿へ帰る。1階はレストランで、そのオーナーがシェフだ。
一人ではレストランに入れない性分で旅での夕飯はジャンクになりがちだ。だからというわけではないがオーナーの作ったドイツ料理はとても美味しかった。オーナーに、
「美味しかったよ!今日ね、ユーロバイクでヤン・ウルリッヒに会ったんだ。写真をたくさん撮ったよ!」
と話す。撮った画像を見せる。すると、奥へ行ってしまった。しばらくしてこちらへ戻ると、サイン入りのカードを差し出す。良く見ると、ちょっと若いエリック・ザべルだ。
「若いときだね。」
と言うと、
「サインは、3,4年前の本物だよ。あげる。」
カードにはガビョウの刺さった後があり、大事に飾ってあったのだろう。私がもらって良いものかと言ったが、良いようなので大切に頂戴した。
翌朝<もう1泊したい>と、昨年と同じく後ろ髪をひかれる思いで朝食が始まる前に宿を出る。ユーロバイク行きのバスが出発するからだ。電車もあるが、電車からまた会場へ行くバスに乗り換えて、そのバスも満員で乗れるかどうかとなるし道も渋滞して、とにかく時間がかかる。早く動くに越したことない。
2日目のユーロバイク。人が少ないうちにシャッターを押す。
新しい商材を探すのは難しい。
試してみたいもの、良いもの、はだいたい日本に入っている。
入っていないのは、イマイチだったりする。
指定時間のミーティングが終わったてからGiroのブースへ行った。
コンタドールのサイン会が終わる寸前ギリギリで見れた。
残り時間あとわずか。
フラ〜と歩いていると、MTBメーカーブースのソファにゲーリーフィッシャーが座っている。驚いた私に気がついて一緒に写真を撮ってくれた。
覚えていないだろうか、思い切って聞いてみた。
「3年前、帰りのフェリーで会ったの覚えている?」
「チューリッヒへのフェリー?日本のどこからきたの?名前は?」
やはり覚えていないようなので名刺を差し出す、すると、なんとゲーリーも名刺を出した。
私「マジでーーーッ!」(思いっきり日本語)
そのゲーリーの行動に周りのスタッフもびっくりしていた。
新しい商材は見つからなかったが、納得できるミーティングと嬉しい気持ちいっぱいの思い出ができた。
ユーロバイクを5回通っただけはあった、と実感がこみ上げてきた。
会場を後にチューリッヒへ移動した。
翌朝は、もう帰るだけ。散歩をする。
古くても良いものは変わらず、新しいことには洗練されている印象のチューリッヒ。
公園にシーソーがあった。私の住むあたりの公園では見なくなった。
事故が多いせいなのか、多ければ無くしてしまうのか。使い方をちゃんと教えてあげたり、大人がついていれば何の問題もないのにな、と思ってしまった。
また、幼稚園のお散歩と出会う。反射ベルトを身に着けた子供達。大人一人につき両手で子供を二人を見ているようだ。お金ばかりでなく、こうしてしっかりと見守ることが大切だろう、と時期が時期だけに考えてみてしまった。
空港まで歩ける道を見つけた。
ホテルに戻り、バスもあったが、荷物を背負って歩くことにした。
標識を見ながらその通りに歩いてみる。
途中何もないところがあり合っているか不安になるが、進むと分岐にまた標識と地図がある。以前目にした標識よりもグレードアップされているようだ。
標識には、ウォーキング、サイクリング、マウンテンバイク、ローラーブレード、手漕ぎボードとそれぞれコースがマップにある。
こうして遊ぶ環境が整っている。
この標識を見て自転車の旅をしていた。
ヨーロッパの環境を、楽しい自転車を伝えたい。その思いはずっと続いて今に至っている。
旅していた時は、旅が日常になりカメラを構えることが無くなっていた。
「なんで日本人は、バスで周って写真を撮ってバスに乗るだけで旅を楽しまないの?」
と何度もヨーロッパの人に聞かれた。実際に私は自転車で楽しんでいるから知らないと言い、写真を撮らなくなっていた。
だから、今、見える機会に見えるものを撮っている。
そして改めて、色々な事に日本との違いを感じる。
政治も自転車文化も何を目指しているのか、どういう風になりたいのか、わからないことが多い。
私にとって5回のユーロバイクは、やっとなのか、まだまだなのか。
自分がやりたいこと、できることを続けていきたいと思った。
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